無所属
板野郡選挙区当選4回
県議会1人会派「護民官」

2013年に、 私が、責任を取った
「生活保護不正受給」問題とは・・

私に対する無責任な中傷が、いまだにネット上に掲載されていますので、事実を簡単にご説明しておきます。

 私は、2013年1月まで共産党徳島県議会議員でしたが、不動産業者に「指示」して二重の入居費用計算書などを作らせ、生活保護を不正受給させたとして、逮捕されました。

(「不正」と言われた内容は、このページに掲載した活動報告のチラシ等に書いています。)

 起訴後の裁判における私の主張を要約すれば、
「私は指示などしていない。低所得者を救うために、単に業者の行為を見て見ぬふりをしていただけだ。しかしそのことについては、自ら辞職してすでに道義的責任を取った。これ以上刑事責任まで問われる筋合いはない」
・・・というものでした。

 そのように主張して最高裁まで無罪を訴えましたが、でたらめな事実認定と私に責任転嫁した業者の言い分は、結局最後までまかり通り、最高裁で有罪が確定してしまいました。私は、「日本の司法に幻滅した」と会見し、裁判での闘いに終止符を打ちました。
 
 住宅の無い人たちを救おうと、「役所用」に家賃額を低くした書類を作った業者の行為自体、それを「不正」だと罰するほどのことなのかどうか、十分に議論の余地があります。

 しかしそれでも、清潔をモットーにする共産党の看板に泥を塗ったのですから、私も当然党の辞職勧告に応じるべきだと考え、逮捕の前に、「道義的責任を取る」と記者会見して自ら辞職していました。

 従って、その後の逮捕、逮捕後勾留中の共産党からの除名、裁判での有罪判決などは、どれもこれも納得がいかないものでした。

 私は、県庁で辞職会見をした際も、共産党から辞職勧告された時にも、「一旦辞職しけじめをつけて次回も出馬する。今後も活動を続ける。」と明確に宣言していました。

 そこで、検察の嫌がらせとしか思えない195日間におよぶ徳島東警察署での拘留を経て、保釈された翌日からライフワークである生活相談活動を再開しました。

 そして宣言どおり、2015年徳島県議選挙板野郡選挙区に出馬しました。この選挙では、最悪の条件下、3800票余りをいただきました。しかし、残念ながら古巣の共産候補と共倒れし、次点で落選してしまいました。

 その後、4年間さらに無料生活相談所やとくしま記念オーケストラ関連の住民監査請求と裁判に取り組むなど、県政を正す政治活動を続けました。

 そして2019年4月7日投票の徳島県議会議員選挙板野選挙区で、前回より約1100票多い約5千人のご支持を得て、6年半ぶりに県議会議員に返り咲くことができました。

 「我が良心に恥じることなし」「私の仕事は人助けと世直し」・・これが私の掲げてきたスローガンです。

 弱者を助ける社会運動家として、格差社会の是正を目指す政治家として、足腰が立たなくなるまで頑張りぬく決意です。

↓私を支えてくれた「支援する会」のビラです。